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『嫌われる勇気』が最近話題になってます。
書籍はベストセラーになっていますし、同名のTVドラマでのアドラー心理学の解釈について学会が抗議を申し立てた、なんてニュースもありました。
僕はよくみなさんに書籍の『嫌われる勇気』をおススメしています。
その際、こういった反応をいただくことがたまにあります。「自分から率先して嫌われなくちゃいけないんですか?
私、わざわざ人から嫌われたくはありません」そりゃそうですよね(笑)
僕だって、わざわざ嫌われたくありません。『嫌われる勇気』というタイトルがちょっと刺激的ですよね。
ミスリードを誘っているようでもあるし。
マーケティング的にはこれで正解なのかもしれませんが、やっぱり誤解しちゃう人がいるかもしれません。『嫌われる勇気』について、僕の師匠の一人である平本あきおさんがこんなことを先日ブログに書いていました。
平本さんはアメリカの専門大学院でアドラー心理学を研究し、かの地で心理士としても活躍していた経歴の持ち主。
みなさんにも参考になると思ったので、引用します。
実は『嫌われる勇気』って、
人からどう思われても、気にしない勇気ではない。『嫌われる勇気』って、
いつでも、自分の気持ちや考えに正直である勇気。まず、
自分は本当はどう感じてて、
どうしたいか、
自分の感情や思いを認めてあげる勇気、自己受容、
自分のこと認めてあげる、自分を大事にする勇気。自分をおろそかにしない勇気。
たとえば人の目に、どう写ったとしても、
一旦、そのまま素の自分に、
OK出してあげられる勇気。それができて初めて、
人のことも、そのままで、OK出してあげられる。だから、まず、自分の気持ちに素直でいて欲しい。
平本あきお
そう、『嫌われる勇気』って、『自分を大切にする勇気』のことなんです。もちろん、他者も大切にする勇気という要素も含まれていますが、まずはありのままの自分を大切にしてあげる。
対人恐怖症、視線恐怖症、脇見恐怖症、社交不安などでお悩みの方は、ややもするとカンペキ主義的なところがあり、「ちゃんとした自分」じゃないとイヤだ!と思ってしまうことも多いかもしれません。
ちゃんとした自分じゃなきゃイヤなのに、とてもじゃないけど人から嫌われるのを受け入れるなんてムリ!
こう感じるのはまあ仕方がないことだと思います。
そんな方にはこう伝えています。
『嫌われる勇気』=『カンペキじゃない自分も認めてあげる勇気』
だと。カンペキな人なんてそもそもいません。
仮にいたとしたら、まわりの人は居心地わるいかもしれませんよ。
だって、その人と一緒にいたら、まわりの人はどこかしら自分が劣っていることを感じ続けちゃうかもしれないですしね。
人は、カンペキじゃないからこそ、共同体や社会をつくり、助け合うことができるんです。
カンペキじゃなくてあたりまえ。ぜひ、いまの自分をそのまま認めてあげてください。
そのままやさしく受け止めてあげてください。
仮に今の自分に対して否定的な感情をもってしまったとしても、そんな感情に対しても、そのまま受け止めてあげてください。
「あ、そうなんだ。今はこんな感情があるんだね」と。そして、
「自分は本当はどうしたいか」
その想いもあわせて大切にしてあげてくださいね。
「カンペキじゃない自分も認めるって、そうはいっても、どうやったらいいかわからないよ」
そんなときは、どうぞご相談ください。